ビジネス、戦争、哲学。
大学生の時、ビジネスにおける学問の応用に関心を持った。
哲学への関心を持ったが、研究者になれるような特定の分野への情熱はなかった。
また就職活動をする中で、哲学はビジネスとは相入れないように感じてしまっていた。
相入れないように感じてしまったのは、自分の学問や哲学の理解不足もあるだろうが、
一方で、ビジネスに哲学を応用している人たちがいることへの確信はあった。
社会学者のマックスウェバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
は、プロテスタンティズムの禁欲的な自己と、他者への奉仕が、
ビジネスの原理原則へも通じることを指摘していた。
一般論ではなく、自分の中で、学問や哲学とビジネスが繋がったきっかけは、
某大手タバコメーカーの役員との出会いだった。
その方は、自分の大学のゼミの教授と、師と仰ぐ人が同じで、
学問という道を志さなくても、哲学を応用できるということを教えくれた。
余談だが、その師とは、日本に国際政治学という学問を開いた永井陽之助である。
永井は、冷戦時代の米国で研究を行っており、
キューバ危機の、核戦争により世界が終わるという緊張感を持った時代を生きた人だ。
永井の講義や書籍には「毒」があるらしく、多くの人が魅了されていた。
らしいというのは、自分はその「毒」を感じることができなかった。
例のごとく理解力不足であるかもしれないが、
「世界が終わる」という規模の危機を、25歳の自分は生まれてこの方、
特別感じたことがなかったからだ。
これは僕の当事者意識の欠如なのか。世界の戦争それ自体が大国間の対立ではなく、
テロとの戦争という非対称戦争にトランジッションしているからか。
ある種ベトナム戦争も非対称戦争の先駆けだったたと捉えることができるのであれば、
同時代性を感じるという意味で、これだけ強い関心も持てるのかもしれない。
脱線をしたが、その企業役員は、学部の友人の親戚で、
毎月、日本橋界隈で、料亭などに連れていっていただいていた。
こうして書いていると、自分はいかにも平和な日常であるが、
ともかく、ビジネスにも学問や哲学は応用できるという類の話をしていただいた。
データアナリティクスを活用したと言われているが、
ベトナムでは大敗を喫したが、フォード社の社長として成功を納めるなどした。
現場としての自社の工場は、心理的にも物理的にも近いが、
戦争における現場としての戦地は、あまりにも遠く、
重要な情報が正しく扱うことは困難だったのだろうか。
どんな分野にも学問は応用できるということを知れた。
しかし現実には、指揮官は戦場にはいないし、
自分自身も保身に走り、安全で平和な日常を過ごしている。
いま思うと、あくまでも哲学は手段であると思う。
よりよく生きるという目的のために、哲学という学問を用いる人もいれば、
なにがしかの方法で、その本質を捉え応用する者もある。
さて、哲学が手段ならば、
人生の目的はどこにあるのだろうか。
冷戦のヒッピー文化を描いた映画「イージーライダー」のように、
無謀で、自由を探し求める生き方が理想というわけではないが、
現代では英雄が生まれることは少ない。
そこに、自分自身の人生をニヒリスティクに感じるのである。
現代人は、哲学者ニーチェが、「最後の人間」と揶揄した者のようであり、
平凡な日常をただ過ごすだけで終わる者が多い。
かつてヘーゲル哲学が描いた、「最初の人間」とは対照的に、
気概に満ち溢れた人間に、我々はなれずにいる。
かつてのフランス革命の時のような、
国家を変えるような大きなイノベーションは訪れず、
人々の不満を昇華する、ギロチンのようなシステムは流行らない。
ヘーゲル学派の政治学者、フランシス・フクヤマ「世界の終わり」では、
日本の江戸時代、能の世界観を理想としているが、
すべてが満たされた世の中では、
文化を極め芸術を作り出していくことがイノベーションになのかもしれない。
本物の芸術は、美術館の中には留まらない。
データアナリティクスの活用を美術館送りにせず、
実学として世界を変え、人々の間で有益なものにしていく。
そのためには、もっと多くの人と対話していきたい。
海の記憶
僕は中学の時、赤いオープンカーに男女4人で旅するのが夢だった。
高校の卒業遠足の沖縄は、
青春まで一歩足りてなかった。
たぶん太陽のせいだと思う。
もっとクラクラするような光を、
浴びせて欲しかった。
鈴木英人が描いたアルバムのジャケットのような人生。
もう今にも消えてしまいそうな記憶。
この命が尽きる時、僕が生きていたあかしなど何1つ残りはしない。
大学を卒業するとき、再び沖縄へ行く。
今度は現地で調達した女性を車に乗せて、海沿いをドライブ。同い年くらいで、米軍とのハーフ子、リスみたいで可愛かった。
赤いネイルと、シークワーサーゼリーのオレンジが、南国の果実を思わせる。
重たい夕陽が頭をぶら下げて、
抱えるかのような陽の光の夕方。
もうここへは戻れない気がした。
僕が僕であるために
この事実に魅せられてしまったのかもしれない。
僕には敵がいなかった。
乾いた自分の心には、大いなる敵が必要だったのだ。
「地獄の黙示録」は共産主義と資本主義の大国のぶつかり合いを、
代理戦争という形で、南北のベトナムを各々支援する形で行っていた。
ある米国からの一隊は沼地を進み続け、こちらの米国側の将軍へ会いに行くと、
かれは敵になっていた。
深い闇を見つめ続け、自分たちが敵になっていることに気付かなかった。
これはメタファーだ。
情報の非対称は、現場と司令塔ではもうその差を埋められないほどになっていた。
中東もそうだ。フセインの部隊を育てたのは、米国だった。
彼は自分の信念なるものに耳を傾けただけだったのかもしれない。
国家対非国家という形態の非対称戦争だ。
米国は、敵も味方も日々判断しなくてはいけず、データでこれを判断している。
米国にとって有益かどうかが試されているのである。
人間はもはや、米国が持つ巨大なアルゴリズムで判断され、
まるで、リヴァイアサンであるかのように米国は君臨している。
「民主的な白人たち」でさえ、
中東の郊外でスマートフォンを持ち寄り集会したら、
爆撃の対象になるかもしれない。
今のデータの精度では、結婚式を爆撃してしまったほどであるから。
僕はデータが好きだ。自分のアイデンティティは何かをずっと探してきた。
行列や配列では表現できない、そこに人を感じるデータ分析がしたい。