僕が僕であるために

いまは、いまが楽しく、満たされている。
 
満たされていない時に感じる空白が、
誰かになりたい。というアイデンティティ探しへと向かわせる。
 
高校時代には、なぜかヒッピー文化にはまる。
 
ブルーススプリングスティーン「明日なき暴走」などを聴いていた。
念のため断っておくが、平成世代である。
 
単なる偶然かもしれないが、
自分を大きな歴史の一部に位置づけることで、
自分の人生に大義名分を与え、癒しを得るならば、
 
僕らの世代の中東で行われていた戦争と、
ベトナム戦争には共通点がある。
 
どちらも、非対称な戦争であるということだ。

この事実に魅せられてしまったのかもしれない。

 

僕には敵がいなかった。

乾いた自分の心には、大いなる敵が必要だったのだ。

 

地獄の黙示録」は共産主義と資本主義の大国のぶつかり合いを、

代理戦争という形で、南北のベトナムを各々支援する形で行っていた。

 

ある米国からの一隊は沼地を進み続け、こちらの米国側の将軍へ会いに行くと、

かれは敵になっていた。

深い闇を見つめ続け、自分たちが敵になっていることに気付かなかった。

これはメタファーだ。

情報の非対称は、現場と司令塔ではもうその差を埋められないほどになっていた。

 

中東もそうだ。フセインの部隊を育てたのは、米国だった。

彼は自分の信念なるものに耳を傾けただけだったのかもしれない。

 

テロ活動は、第三世界における第三次世界大戦である。

国家対非国家という形態の非対称戦争だ。

 

米国は、敵も味方も日々判断しなくてはいけず、データでこれを判断している。

米国にとって有益かどうかが試されているのである。

 

人間はもはや、米国が持つ巨大なアルゴリズムで判断され、

まるで、リヴァイアサンであるかのように米国は君臨している。

 

「民主的な白人たち」でさえ、

中東の郊外でスマートフォンを持ち寄り集会したら、

爆撃の対象になるかもしれない。

 

今のデータの精度では、結婚式を爆撃してしまったほどであるから。

僕はデータが好きだ。自分のアイデンティティは何かをずっと探してきた。

 

行列や配列では表現できない、そこに人を感じるデータ分析がしたい。